結局のところ、男の人の好きなタイプはどんな女の子なのだろう。
浮気を正当化する為にある人が言った
「毎日食べるなら米がいいけど、時々はパンも食べたくなる。」という謎の名言。
これは毎日一緒にいる妻や彼女の存在は米のように当たり前だが、当たり前すぎて物足らず、時々は無性に食べたくなるパンのような女も自分の人生に必要だ。という事だろう。
女を食べ物に変えてしまえば確かにそうだ。
毎日毎日食卓に出されるならお米が食べたい。本命だ。
しかし、朝食にスクランブルエッグと共に焼き立てのトーストも食べることができれば、その次に出る米に飽きる事もないのだろう。
では、女はどうあるべきなのだろうか。
毎日必要とされる米のような女になるべきなのか。
時々、手を出されるパンになるべきなのか。
しかし、この米もパンも結局食べられる側であるのは変わらず
言ってしまえば、搾取される側である。
そしてどちらになっても浮気されているということは変わらない。
この一方的な暴論を搾取される側としてどう理解すれば最も幸せなのか。
私はこの『女は米かパンか論争』に真剣に考えたことがある。
そして導き出した答えは
『じゃあ、ラーメンになりたい。』
である。
これは自論であるが、パン麺ご飯の中でどれが1番好きか尋ねて、麺と答える男性がほぼ半数である。
その中でもラーメンを思い浮かべる人は多いだろう。
私はラーメンが嫌いな男性に出会ったことがない。
むしろ大好きな食べ物だと認知している。
なので私は、米よりパンよりラーメンになれれば1番愛されるのではないかと考えたのだ。
しかし、米は毎日食べられてもラーメンを毎食食べることはできないだろう。
ここでも浮気という視点から考えると、女がラーメンになってしまえば、いくら大好きであろうと時々しか会ってくれないものである。
これはドラマなどでよくみる
家庭がある男性が愛人を作り、愛人に「奥さんといつ別れてくれるのよ。」と問い質されても
「すぐに別れるから...。」と会話を上手く流され、ついには「私なんて結局遊びだったんだ。」と悲観してしまう王道パターンの流れではないか。
しかし、眼鏡が曇り、時には汗をかきながら黙々と食べられるラーメンを考えると
パンより米より愛されている気がしてならない。
男の人がラーメンを食べている時は、ラーメンのことしか考えていないように見えるのだ。
私はそれでいい。どうせ搾取されるなら1番に愛されたい。
会える時に全力の愛を注いでくれれば「奥さんと別れて。」なんて言わない。
お酒を飲んだ後に〆のラーメンとして酔っ払いながら記憶が無いうちに食べられても後悔しないのだ。
こんなことを考えているから
私は幸せな恋愛をこの歳になってもできないのかもしれない。
いつか落ち着いて米になれる時が私にも来たらご報告したい。
しかし米はおしとやかに見えて案外しぶといので
ラーメンを食べ終えた後、残ったスープにライスとして介入してくることがある。
結局選ばれるのは米なのかもしれない。